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大寒波襲来の日本列島。風が強すぎて、全然寝れませんでした。台風みたいでしたね。
さて、今日はちょっと「仏の教え」について書きます。
少し前ですが、仏法の教えの中に「無財の七施(しちせ)」というのがあるのを知りました。
これ、ざっくり言うと「財産がなくてお布施ができなくても、いつでも誰でも実行できるお布施」のことで、「とらわれ」や「むさぼり」の毒を捨て去るための修業のようです。
「財産がなくても」ってところ、響くわぁ。笑
そして、その「無財の七施」の内容が、日常で意識するのにすごくいい内容が多かったので、後厄の2023年、意識したいわという気持ちを込めて、ご紹介します。
お金がなくてもいつでも誰でも実行できる、7つのお布施。はこんな内容です。
1:眼施(がんせ)
悲しみに満ちた優しいまなざしで、すべてに接すること。
温かい心は、自らの目を通して相手に伝わる。
うう・・・
何かとイライラしがちな日々。
自分のことは棚に上げて家族や仕事で関わる人にムキー!となってしまう場面が多いわ最近。反省。
2:和顔施(わげんせ)
いつもなごやかで穏やかな顔つきで人や物に接すること。
在宅勤務になって、相手に表情を見せる機会が激減しました。
しかし、家族にはマスクなしの顔を毎日見せているわけで。
鬼のような形相のママの顔、をみている子供たち。ごめんよーー
3:言辞施(ごんじせ)
優しい言葉、思いやりのある態度で言葉を交わすこと。
これね。うん。大切だ。
自分の言葉や態度が優しいと、家族もみんな優しくなる。
私が怒っていると、家族の雰囲気が同じトゲトゲした感じになる
4:身施(しんせ)
自分の身体で奉仕をすること。
身体で示すことで自ら進んで他のために尽くす気持ちが大切。
「誰かのためになりたい」というのは、仕事でもプライベートでも結構意識していることです。
「なに無意味なことやっちゃってんのよ」って批判が来たりもするけど、ちゃーんと優しく見守ってくれている味方はたくさんいる。その人たちに対してこれからも奉仕したいなぁ。
でも、ちゃんと自分も大事にしないとですね。それも大事。
5:心施(しんせ)
他のために心をくばり、心底から共に喜び共に悲しむことができ、他の痛みや苦しみを自らのものとして感じ取れる気持ち。
共に喜び、共に悲しむ。
これ、特に子育て中の私にとっては、ママ友と嬉しいことも悲しいことも話して、笑って泣いて、っていうのがどれだけ支えになってきたことか…と思いますよ。
嬉しいだけじゃなくて、辛かったことも話して、応援しあえる関係って、素敵だよなぁ。私の話を聞いてくれる友達、先輩、本当にいつもありがとう!
6:牀座施(しょうざせ)
たとえば自分が疲れていても電車の中で喜んで席を譲る行為のこと。
競争相手にさえも自分の地位を譲って悔いなく過ごせることの意味もある。
あまり身近に競争相手のいなかった人生を送ってきてる気がする(勝っている訳ではなく、そもそも戦っていない)のですが、仕事をしていると、「自分の手柄」にすることだけを考えて行動してる人って、あ、あそこにも。あ、こちらにも。結構いらっしゃる。
「勝ち」にこだわることが必要な場面もある。
でも、私が仕事で必要なのは「勝利」ではなく「Win-Win」かな〜と思います。
7:房舎施(ぼうしゃせ)
最後です。
雨や雨露をしのぐ所を与えること。
自分が半身濡れながらも、相手に雨がかからないように傘を差しかける思いやりの行為などをいう。
これは、今まさに子育て真っ最中の私は、子供たちに対して行っているような気がします。
自分のことはちょっと後回し。まずは子供達が喜ぶことを、って思う時もある。トキモアル・・・。笑
7つ紹介しましたが、「あれ一つ目なんだっけ?」となっていませんか?はい、なってます。私が。笑
心に余裕がなくなったら、この記事を読み返して、「そうだ、この気持ちが大事なんだ」と振り返れたらいいなと思って、書きました。
ブッダはこう説いているそうです。
「財なき人よ、自らに財なしといって布施を怠ってはならぬ。身体ある以上は、人の善事をなすのに助けをなせば我が身もまた施主たるぞ。もし、自分に施す物がなければ、他人の施すを見て随喜の心を起こせよ」
さすがっす。ブッダ先輩。
久しぶりに、聖⭐︎お兄さん、読みたくなってきたな・・・
気づけば、20巻まで出てますやん!!!
皆さんに響いた「お布施」はありましたでしょうか?
ぜひ、明日から、いや今日から心がけたい。。。
今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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小手先のテクニックとかよりも、結局響くのはこういった「教え」なのかもしれないなぁ。
わらためでした。